同時(または少し汎化して、事象Aのn時間後に事象Bが起きること)が重要な含意を含むという視点は、主観/自我の仕組みの主たる構成要素である。
同時というのは、同じように動く2物体を一つの視覚でまとめて見ると、網膜上で類似位置を空間的にノードで接続できるので、AIにも人間にも認識しやすい。
同時のパルスは、他者から見ると単なるパルス以上の情報量を持たない。しかし主観にとっては、自己の仕組みから出るパルスと「同時」に起きる外界のパルスは重要な意味を含む。
そして「同時」をルールとしたノード結合の強化はニューロ網の基本的な学習ルールである。
共時性というオカルトのような話が、人から発案されたのは偶然ではなく「同時」がニューロの認識できる基本単位であるからであり、あと「遅延」を認識できる機構(つまりニューロ網の個々に時計のメカニズムを持たせる)ことで「繰り返し」を処理できるようになる。
「繰り返し」は「歌」であり、「近い未来の予測」である。
それを構造的に組み合わせれば「少し遠い未来の予測」になる。
その「少し遠い未来の予測」を他者に説明可能にするためには「主観/自我」の要素を除去し「その個人との同時性」をなくすことで、「文章/書籍」などの静的コンテンツに記述がしやすい形にする必要がある。それが「論理/物理」である。
AIを人に近づけたいのなら、「同時」および「遅延した同時(Aのn時間後のB)」をニューロで処理しやすい形で組み込めばよい。
AIに「同時」を処理出来るようにすれば、おそらく「共感」(AI間の同時パルスによる含意の伝達)も出来るようになるし、それは人にも「共感」に見える行動になる。