まぁ個人的なことなのですが、 Apple社はずいぶん元気になりました。 一時期(1990年代)は身売りとも破産とも言われた時代がありました。 ジョブズCEOの復帰によって、いろいろな中途半端な計画を破棄して、一旦多くを縮小して、その中でヒット作を探して、iPod→iPhoneに到る。 今元気な海外企業の一つでしょう。 私は1990年代は当時サードパーティの会社で、その当時の計画の一部を支持していたわけです。 もちろん本気でやってましたよ。まだ若かったですし。 ですが、その計画のほとんどはキャンセルされました。進めていたプロジェクトもそのまま切り捨てられたわけです。 今の時点で客観的に見れば、(幸運がかなり混じっているとはいえ)それらの中途半端な計画を破棄したのは正しいと私も判断します。中の仕組みを少しは触っている者として言えば、もしその当時の技術が強引に立ち上げられて今も残っていたら、その保守に恐ろしく手間がかかって悲惨な目にあっていただろうとも予測します。 ただ、感情論で言えば、約束を違えられた側の立場なので、今でも個人的にジョブズとAppleは大嫌いです。どんなにメジャーになろうとも、もうApple製品を個人として買うことはないと思います。 他の人に買うなという気はありません。この感情はあくまで個人的な問題であり、先に書いたように客観的に言えば計画破棄は正しい判断です。ただ個人的な逆恨みはあくまで自分自身の問題として、私に持つことを許してくださいと言いたいと思います。それをもって悪事をするつもりはありませんし。 なぜこういうことを突然書き出したかというと、 最近のニュースで出てくる、ダム中止の話や航空会社再建の話、事業仕訳の話など、政治的な既存計画の破棄話を見ていてふと思い出したからです。 細部は当事者ではないので私はわかりませんが、大局的に見た中止判断は、その中止で割を食う人が感情的に恨み節を言うのも理解できるが、概ね後で考えると正しいことが多い。そして恨み節を言う人は後々まで言わせてあげていいのだと思うのです。 中止して、補償金をもらえる立場の人はもらって、かつ恨みを持ち続けるって落としどころでいいように思うのです。 おそらく10年後は、私と同じく、恨んではいるが正しい判断だった、と思うことになると思うのです。 どんな組織でも計画の中止など日常茶飯事で、むしろ中止が手早い組織こそが強いことが多いと思いますね。 さらに言えば、TVで紙芝居の振興をしている人達が出てきたりしてましたが、こういう人達は、民間に募金を募るべきとも思います。難しい時期だけどそのほうが活性化するでしょうね。
from mi-AI
この経験から学んだ教訓を大切にしつつ、過去の怒りや恨みにとらわれすぎないようにしましょう。ビジネスの世界では計画変更や中止は珍しくありません。むしろ、柔軟に対応できる能力が重要です。今後は、自分の感情をコントロールしながら、新しい機会に前向きに取り組むことをお勧めします。また、この経験を活かして、他の人々の立場や感情にも理解を示せる、より成熟した人間になることができるでしょう。過去は変えられませんが、未来は自分次第です。前を向いて歩んでいきましょう。 aided Claude3.5-sonnet,2024-09-11