道理や常識がどうであれ

道理や常識がどうであれ、人はほめられたり楽になる方向に付くものだ。
論理でAだとわかっていても、Bのほうにほめられれば、最初はAと言ってもBに傾いていく。
こう言うとまるで洗脳かのごとき悪いことのように聞こえるが、そう言いたいのではない。
道理がAだというのなら、小さな工夫をしてでもAの方向にほめるとかAを選んだら小さなご褒美を自他共に付けるなど、Aのほうがなんとなくきもちいいという工夫をすると、道理であるAが揺るぎにくくなる。
小さな工夫をすることで道理や常識が守られるということだ。
P.S.
付け加えれば
あなたを害しようとする人は、あなたをBに導きたいから、Bに小さなご褒美をつけようとする。
そういう仕組まれたご褒美に惑わされないためには、害しようとする人を遮断するしかない。
耳を塞ぐということと、惑わしを遮断するということは紙一重なので慎重な判断が必要なのだ。
とても難しいことの一つだと思う。