Skip to content
無題ノート11
旧ログ-コード採掘場
2008-07-09

設計方針・仕様設計やアルゴリズムノートがいかに間違えてないと思っていても、その目で動く瞬間が見えるまでは、背景のないマラソンのよう。 作業している内容は間違いないはず、間違いないはずと信じてキーを叩きメモを書きなぐる。 しかし画面に並ぶ文字は何も言わない。それは異国の言葉のよう。 走る先が目的への道なのかどうかわからない。道しるべは鉛筆書きのメモだけ。進んでいるのか戻っているのか逸れているのか、背景が見えなくては気づきようがない。まるであせる迷子のように書きまくる。 時には迷い疲れて休む。それはかまわない。しかし長くは休めない。今まで走っていた方向さえもがわからなくなるからだ。方向さえ迷ってしまって腐敗したメモやコードは山のよう。 だから断片であってもコードが動く兆候を見るとき、灰色の霧にうっすらと背景が浮かび上がる。 かならずしもゴールに近づいている限らないけど、むしろ目的地の遠さがよりあきらかに浮かび上がることも多いけど、道しるべは目に映る。 足に地面を感じ、異国の言葉は無の中から姿を作り出す呪文と化する。言いようのない瞬間。 ここからやっとで本当のマラソンが始まる。 (記述時期:コード採掘場記述の頃以上は不明) 現時点の追記: この当時より、ソフトウェアの開発論はいろいろな形で進化し、より負荷は減ってきた。ただディープなコードを書くときは今でもこんな状態だし、一方で負荷が減った分システム全体の規模が大きくなることもあり、現状ではあまり変わらないとも言える。