R.I.P-MEK6800D2

MEK6800D2
私がマイコン雑誌をはじめてみたのは中学校1年の頃だったかな。自作のM6800ワンボードの記事をインターフェース誌で見たのがはじめてでした。それまでアマチュア無線電話級で過ごしていたエレクトリックホビー環境から一転、マイコンに夢中になりました。I/OとASCIIの創刊号も記事を見て通信販売で買いました。富士通にMB8861(MC6800の互換チップ。当時はセカンドソースといって MPUの仕様はライセンスするのが普通だったかな)のカタログを請求して、穴があくほど読みました。おかげで今でもM6800の機械語(ニモニックではない)なら一部空で読み書きできます。当時ならほとんど空で読めたんじゃないかな。そんなとき兄が就職で上京し、下宿に遊びに行ったとき秋葉原で兄にねだったのがMEK6800D2です。これはTK-80によく似た仕様のワンボードで、もちろんMPUはM6800です。16進キーボードと7セグメントLED が6個並んだかわいいやつです。7セグメントLEDを明滅して動くシューティングゲームを256ByteのRAMにいかにして組み込むかはさながらパズルと言えましょう。
結局、メモリを4KByteに増設して、VideoRAM(前述)をMEK6800D2につながるようにI/Oの設計を変えて組み立て、フルキーボードもくっつけインベーダーもどきも作りました。
しかしMEK6800D2も、めされる時がきます。当時の幼稚なはんだ付け技術(なんせプリント基盤から直接ケーブルをはんだ付けして外に出すとか)のために、プリント基盤の一部がめくれることから始まり、だましだまし使っていたところでMPUが起きなくなってしまいます。
これを教訓にMy Boardの設計は始まりました。
(記述時期 1999年頃)