Vistaに覚悟があったのだろうか

多くの人にとって、Vistaは何かぱっとしないOSであると思われているし、私も率直そう思っている。
Vistaくらいの規模のOSだと一つの考え方に統一されるということはないはずだが、私のVistaに関する印象は「おそらくJavaや.NETなどの近年のデザイン手法をOSに取り入れて、開発工数の削減とメンテナンス工数を削減する(ひいてはバグを減らす)」みたいな考え方があったのではないかと思う。
もう少しくだけていうと
「xp以前のOSは問題が起きたら土日夜昼ない状態になったので、今度のOSは週末くらいは休めるくらい無難なOSにしておこう。ビジネスなので工数削減は当然考えるよね」みたいな臭いを感じる(実際には休みなどなかっただろうが)
細かい挙動の違和感や、きちんと詳細を詰め切れていないバランスがそういう感じを特に与える。
このOSに人柱はついていたのだろうか? という変な疑問が思い浮かぶ。
人柱という言い方は本来よくないのだろうが、現実的には複雑な生成品は人柱なしに出来上がるとは私には思えない。
昔かかわったいろいろな製品(ハード、ソフトにかかわらず)には程度の差があれそういう人がいたと思うし、メインフレーム関係のハードとかは「おそらくこの人はこの製品の製品寿命と一緒に生活して、製品の消滅とともに第一線を退くのだろうな」と思われるような人もいた。
Vistaにその臭いがしないのだ。
(他の人は知らないが)私はMSにPCのデファクトOSをやらせてもかわまないという感触を持っていたのは、ある程度その必死感があったからであり、もうデファクトを取ったから少しくらい手を抜いたり、ビジネス的工数削減を考えてもいいじゃない という考えに到ったのなら、MSにデファクトOSをやってもらう必要はない。