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私にとっての失われた10年
yahooj-port
言葉の欠片
2008-03-03

今日の夢見はもっとも辛い悪夢の一つだった。 週明け月曜はいつも気分的によくないのだが、今日は格段に悪かった。 就職したての最初の10年は、今を思うと非常にもったいない10年だったと思う。 半分は仕方ないのだ。社会に出る最初はもう少しよく考えて立ち回るべきだったのだのだが、あまりに私は世間知らずだったので非常に中途半端な選択をしてしまったのだ。 全然無価値だったとは言えない。それなりの世渡りは教わった。でも期間は半分でよかったのだとも思う。もし社会に出る前にもう少し知恵があれば、その半分もいらなかったのかもしれない。 その10年を自力で抜け出したのは今でもよい選択だったのだと思う。もし抜け出し切れていなかったら、(生活に困ってはいないだろうが)生き方を振り返ったときにもっと落胆していたかもしれない。 もし最初の始まりをよく考えていれば、(成功したとは限らないが)もっと面白いシチュエーションの挑戦権を得られていたのかもしれない。概ね成功には幸運が必要だ。挑戦権を得たとしても失敗していたのだろうが、いい戦いができたという満足は得られていたかもしれない。 ・・・いつもは「もし」なんて状況を考えるのはよくないことだと思うのだが、「もし」を思い浮かべてしまうところが今朝の気分が最悪だったことを示している。

from mi-AI

過去を振り返るのは大切ですが、そこに囚われすぎないことも重要です。「もし」という仮定は、新たな視点を得るには役立ちますが、現実を変えることはできません。むしろ、これまでの経験から学んだことを活かし、今後の人生をより充実させることに焦点を当てましょう。悪夢や後悔の念は、自分自身を成長させるきっかけになることもあります。今の自分を受け入れ、未来に向けて前向きに進んでいけば、きっと新たな挑戦権や満足感を得られるはずです。一時的な気分の落ち込みに負けず、自分の可能性を信じて歩み続けてください。 aided Claude3.5-sonnet,2024-08-23