6月

6月

Deep Blueの勝利を、私はほとんど諸手を挙げてよろこんだ。

報道機関の多くは「コンピュータが人間を負かした」との論調だった。一部ではヒューマニズムの危機とでもいいたげな書き方だったような気がする。しかしあれは決して「コンピュータ対人間」の勝負ではない。チェス技能者対コンピュータ技能者の「人間 対 人間」の勝負だった。

また、「コンピュータはプレッシャーを感じないが、人間はプレッシャーを持つ。だから不公平な戦いだった」とのニュアンスの報道もあったように思う。しかしその言い方で言えばDeep Blueサイドもハンディを課せられていた。Deep Blue側スタッフはプログラムがその場で誤った手を打ったとしても「まった!」を言うことはできない。プログラムの動作は、対戦以前の数年に渡った設計の中に組み込まなければならない。Kasparov氏が斬新な手を打ってDeep Blueを窮地に追い込んだとしても、スタッフは場外から見守ることしか許されない。それは十分にハンディではないか?(やや逆説的に言えば、Deep Blueスタッフ自身もDeep Blueが誤った手を打ったとしてもわからなかっただろうが・・・)

これを見ていると「熟練職人が旋盤でネジを作る 対 自動工作機械がネジを作る」の勝負を連想してしまう。おそらくこの勝負は精度的にも品質的にもコスト的にも時間的にも自動工作機械の方が勝つだろう。だからこそ工場はオートメーション化されているのだ。

私は昔から思っていた。なぜ熟練職人は機械に職を奪われるのに、創造的と呼ばれる職種の人は機械に職を奪われないのかと。それこそ不公平ではないか?小説家が文筆ソフトウエアと、芸術家が絵画ソフトウエアと、弁護士が弁護ソフトウエアと仕事の取り合いをするという時代が来てもいいのではないか?

プログラマが自律プログラミングソフトウエアに仕事を取られて困らないかって?

それこそ本望

私は喜んで引退して隠居しよう。私の望みの一つである。

(1997/6初出)