11月

11月

パソコンがビジネスに使えそうだという話が出てきたのは、ワードスターやビジカルクが出てきた頃からだろうか。

それら以前は、多くの人がパソコンを一部の理科系マニアのおもちゃとしてしか見ていなかった。組み込み制御用マイコンやシーケンサーは見えないところで順当に認められていったのだが、パソコンのみはよくても教育現場のコンピュータ実習機、ひどければ粗大ゴミ扱いだった。

その後、文書を書く道具としてワープロは発達を始める。経理ツールとしてスプレッドシートやデータベースが発達する。絵を書くペイントソフトは、略図を書きやすいドローソフトを生み、さらにフォトショップなどのデザイナーに使える画像処理ソフトを生み出す。出版版下を作るDTPソフト,音楽作成・演奏のためのMIDIソフト・・・

今は違う。

パソコンは道具としての有効性が社会に認められた。

絵を書く人にとってのキャンバスや筆、文章を書く人にとっての原稿用紙や鉛筆というふうに。

残念ながら現在のパソコンはある程度「複合的な機械であること」を意識しなければならない部分があるので、すべての人に使いやすいというわけではない。

しかしある程度勘どころさえつかめば

操作の取り消し,特殊視覚効果,3D処理,文章チェック,繰り返し処理,定時処理,ファイルへの記録,読みだし,レイアウト整列,テンプレート,電子メールなど今までにない便利が得られる。

おもちゃとしか見られていなかった電線の塊が、鉛筆の代わりとして、キャンバスの代わりとして日常的に使われる時代が到来している。

でも以前として、私にとってのキャンバスはパソコンハードそのものやネットワーク,OS,ミドルウエアである。

このキャンバスの上にアプリケーションという名の絵を描く。

ワープロや画像ソフトを使う人にとって、私はキャンバス職人であると言える。

布やにかわや木材を組み合わせてキャンバスを作る。顔料を調合して絵の具を作る者である。

使う人の愛着に応えられるキャンバスを作りたいと思う。

*商品名等は一般に各社の商標および登録商標です(笑)

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コード採掘場移動に際しての注釈

ここには一部私が自主規制した表現が存在する。

私はここで「パソコンには使いにくい部分があるが、使いなれれば便利なものである」という議論を展開しているが、本当はそうは思っていない。

「現在のパソコンは万人に使わせるにはあまりに複雑すぎる。使える人はそれで便利を得るのはかまわないが、使えないことによる不利益をこうむるような時代になってはならない」というのが私の本心である。

私はボタンが4つ以上ある機械を家電とは認めない。

100近くもボタンがあるような機械を自分の年老いた親に使わせなければならないようなことがあってはならないと思っている。

では、なぜこのような自主規制をしたのか?

本心のまま書けば、このコンテンツの最初の掲載先である私の会社の業務を否定することになるからである。

(1996/11月頃初出。追記時期1999年頃?)