タイムパラドックス

タイムパラドックスは「異なる2つの時刻で主観観測したときに、結果が異なる」という話を一度にまとめて話すと出来上がります。

人は時刻によって結果が変わる事象を扱うのが非常に苦手です。

科学の原則が

どこで誰であっても同じ手順をふめば、同じ結果がでる

というものであり、逆に言えばこの特性を満たさないものは科学の舞台に乗せることができません。

この条件を満たせないものを無理矢理科学の枠組みに入れようとすると、概ね疑似科学的になります。

複数の時刻での主観観測が必要なものも再現条件が困難なことが多いので科学の枠組みに乗せにくく、それがある程度強引に乗せたのが、量子論などです。

ニューロエンジンなどは、ほんとに無制限な主観観測点が発生します。それを一つのルールに収束させることが可能なのかどうかはわかりません。

ただ人の脳はそれを実現できているのだから、出来るはずなのです。

知能システムとIO

非常に単純化していう。

知能システムとIO(腕や口、耳など)を繋ぐ方法は原理的にウィジャー盤のような仕組みによく似ている。

それも文字が書かれていないウィジャー盤である。

針が指した先に文字を書き入れるようなもの。

知能系は、基本的に時刻と時間を処理する機械だから、時刻と時間をどのように物理挙動に置き換えるかと考えた場合、ウィジャー盤はそれに必要な条件をうまく満たしている。

神秘主義的だと思うか?

子供の頃、よくそういう本は読んだ。

でもこれは本当でかつ実物にすることが可能なのだ。

時刻の非等価

非常に単純な結論なのだが

2つの時刻情報は原理上、決してイコールにはなりえない。

言い換えれば

2つの時刻情報を比較すると、どんなに等しく見える2つの時刻であっても、前と後(>か<)になり、等しいという状況にはならない。

ノードの発火は必ず競合して、どちらかを励起する。

このことは回り回って、ものすごくマクロに言うと、

人は2つのものを「似ている」ということはできるが、「厳密に等しい」と判断する能力はない。

人が言う「等しい」という概念は「時立体の構造を見分けることができない」という意味である。

2つの時刻がイコールになりえないという特性を使えばV8モデルがさらに単純化できる可能性があるが、一方で時間は無制限に可分であることになりよりやっかいになる可能性もある。

どちらにしてもそれを反映できるのはやれるとして将来のV9モデル以降であろう。

内省

全体的な構成の作り直しを継続している。

その中でわかったのだが、今回のシステムはきちんとした内省の動きが実現できているようだ。

思考の内省的な動きをどの位置で入れればいいのか、意図して組み込まねばならないのか、それとも全部のルールがきちんと動作すれば、内省と同じ動きができるのか、そもそも内省というのは機械的に実現する場合はどのようなものなのか、など疑問点はいろいろあった。

今回のV8デザインでは、とにかく全体の骨格をゆるまないように調整しながら従来のアイデアの処理を結合している。

結果として、内省という動きが全体の中でどこにはまるのかというのがスマートな落としどころが見つかった。

思考を内省する機械は実現可能なようだ。

フーリエ変換と遺伝的プログラミング

繰り返し(周波数)を抽出するという意味では、フーリエ変換と類似する点もある。

私はこの手の数学的手法は得意ではないし習ったことについてもほとんど忘れてしまっているのでなんとも言えないが、離散的でかつ周期が変動する(揺らぐ)ことが可能という前提なのであまり直接的には当てはまらないかもしれない。

遺伝的プログラミングは表層的にしか調べたことがない。でも類似点は多いと思う。大きく違う点とすれば、遺伝的プログラミングが学習の評価条件にするのは「比較的人に可読な概念」であるのに対して、私のシステムでは生成したノードが作る未来時刻に対する「予測」を、その時刻に「検証」するのが学習評価条件であるという点だろう。ノードの予測が人に可読である必要がない。

逆に、検証の精度が高い予測に新たにラベルを後付することで、言葉を生み出す可能性を期待している。

人の主特性

人工知能というと、よく創造性とか感受性とか発見能力みたいな話になるが、

人の主たる特性の大半は、繰り返しの処理である。

指先をつっつかれたときの反射、文字の入力、多量の文章の作成~同じ道の運転~1日の起床から寝るまで~年中行事、さらに数秒前から数年前の過去の想起など、タイムスケールは個々に異なるが、

あらゆるタイムスケールにて、繰り返し処理を実現できているのが、人のもっとも特徴的な特性である。

その繰り返しを微修正していく部分を強調して、発見能力や創造性と呼ぶことがある。

無秩序な事象を繰り返しのパターンの組み合わせとして生成する能力が、もっとも人の主たる特性である。

これをあらゆるタイムスケールで実現できる機械が求めるべきものである。

P.S.

生成した繰り返しパターンに、言葉によるラベル付けをして、他者への伝達や蓄積を可能にしたものが文明である。

P.S.2

人の特性が繰り返すことだというと、人を機械かコンピュータのように扱っていると思われるかもしれないが、コンピュータは繰り返しを自分で微修正できない原始的な道具である。

人の特性が繰り返すことだからこそ、その人の仕事を手伝わせる道具として、繰り返しが得意なコンピュータが有効なのである。

繰り返しを抽出したり微修正したりするのが人間の特殊な特徴であるが、主たる機能と言えば繰り返す機能と繰り返しを検証する機能である(繰り返しの検証についてはまた後で)

再現過程

作り直しの過程で、一旦動いていたのと同等までに戻すのはとてつもなく時間と心理的負荷がかかる。

今度のものは、前に動いていたものより多くの点ではるかにいいのは明らかなのだが、動いていない状態のものはやっぱり命が入っていない。前に作ったものを部分的には引用が出来るが、それでも大半の箇所は書き直さねばならぬ。

ただそれでも今度作られるものには今までの版になかったような骨組みがある。というか、ようやく骨組みが見える程度までに仕組みが明確になってきたのだ。

少しよかったこと

少しよかったこと

仕組みのつじつまが合ってきた。

つじつまが合うということはどういうことか。

試行錯誤せずに仕様に落とし込めるということ。他人に伝達可能な表現になってきたということ。独りで考え込んでいても、観点がずれにくくなったということ。

霧の中から風景が浮かびだしたようなもの。

実体化の足がかりが出来てきている。

フラクタル

非常に大雑把な話をしよう。

フラクタル図形は図版を空間スケールで自己相似を繰り返すものだが、ニューロエンジンが狙っているのは、事象の予測スケジュールを持った小さなニューロ構造を時間スケール軸にて自己相似で繰り返す仕組みである。

むろんこれだけではダメなのだが。

物理学との関係

昔から考察していたことの一つに

近代物理学とは人間の認識能力の限界の裏返しである

と考えていた頃がある。不確定性原理とかがその典型。

今は少し違う。

ニュートン物理など古典物理学も、人間の認識の仕組みが下敷きとして作られている。

と考えている。

ニューロエンジンを記述しようとすると、古典物理の概念に近いものが出てくるからである。

まぁ私の認識限界なのかもしれないという面もある。