「プログラムソースにコメントを極力書かない」という思想も最近多くなり、レガシープログラマはそれなりに悩むことになります。
自分らの世代では「プログラムはコメント文がプログラムを動かすつもりでがっちりコメントを書いて、その間にプログラムソースを少しずつ埋め込むくらいに書け」って言われたものですが。
ただコメントを書かないという考え方はある程度は納得する。つまり
「仕様書とコメントの両方の説明文があったら、どっちが本当かわからなくなるじゃないか」
どちらか一方があれば十分であるという考え方。仕様書の手直ししていくうちにずれてウソになっていくコメントだったらないほうがよい という話。
実際はコメントは書かなくてよいのではなく「仕様書とコメントはどちらか一方は必要」である。例えばフレームワークのライブラリのソースを深掘りすると、API仕様としてソースに山ほどのコメントが付いている。こちらの場合は「仕様書は細かく書かずにコメントを書く(それをdocツールで仕様書にしてしまう)」という話で、同じことを2回書いたり、両方に書いてどっちが本当か分からなくなる という問題は発生しないようにしているわけである。
コメントは英語(英字)で書くか漢字で書くかも難しい問題がある。
メソッドやフィールド名は基本英字になるし、英字になれば語は英語かローマ字になる。英語が苦手な昭和プログラマーにはスラスラ読めるとはいかないのだ。ソースを書きながらかな漢字変換を切り替えるのも誤字の原因として煩わしい。
大前提としては「英語に慣れるのが理想。できれば留学やホームステイをして英会話もバリバリになるべき」ビジネスに幅と機会も大幅に大きくなるのだし。
そこまではもう行けない老年プログラマーはせめて中学英語を理解しつつGoogleやbing翻訳を駆使しよう。プログラム界隈で使われる英単語は結構限定的である。
個人で書く分には誤字を気にせず日本語でいいんじゃない。