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隣の人より幸福でありたいと思うこと
yahooj-port
言葉の欠片
2009-10-21

劣等感や優越感などは誰にでも普通にあるものだ。そのハンドリングがうまいか下手かくらいの差でしかない。 基本的には、隣の人よりも自分が幸福であれば、なんとなく安心するものだ。 それはそれでよいとして、 今の時代、交通手段と通信手段の発達によって、世界のあらゆる大幸福話とあらゆる大不幸話がまるで隣の話のように聞こえてくる時代なわけである。 つまり、優越感や劣等感の管理が少しややこしくなった。 もしTVの前の幸運な人より幸福でありたいと思ってしまったら、それは不幸なことだ。 宝くじに当たるよりも遙かに低い数億分の一の幸運話よりも幸福になれるわけがない。それを見ながら、延々と自分の不幸を愚痴ることになるのだ。 まだ隣の家と自分を比較するくらいのほうが話しが簡単だったのだ。