Skip to content
すばらしい幸運やすさまじい不運は選択肢に入れるべきか
yahooj-port
言葉の欠片
2008-05-16

一般にすばらしい幸運やすさまじい不運の発生する可能性を、行動上の可能性の選択肢に入れるべきではない。 宝くじ1等に当たる可能性、TVでスターデビューする可能性、大統領になる可能性、大富豪になる可能性・・・ 無実の罪で死刑になる可能性、飛行機が墜落して死亡する可能性・・・(上も下を言い出すときりがない気も・・) 上記の幸運も不運も起きている人は世界にたくさんいる。 だが通常の行動選択時の可能性にこれらを考慮することは大半の場合、意味をなさない。 それらの可能性と発生時の対応施策を検討するのは時間の無駄である。 ただ2点、例外があり。 1.極限時の考慮をしなければならない立場の人や考慮をしなければならないタイミングは存在する 政府が地震や戦争の発生時の問題を検討しておかなければならないのは当然だし、家長は事故時の家族の保険を検討しておくべきことは当然だ 2.それらを考えてしまうかどうかは、やはりその人の思考タイプによるのだと思う。 大富豪になった後のことを考えるのが好きな人もいれば、不慮の事故死のときのことを考えてしまう人もいるのだ。無駄だとわかっていても考えてしまう人は考えてしまうし、それは個性とも言える。ただ時間の無駄になることが多いので控えめにすることをお勧めする。