ホーキング博士の人工知能脅威の発言

ネットとかニュースでホーキング博士の人工知能脅威発言のニュースがよく取り上げられているが、その手のニュースに必ずといっていいほど悪役人工知能が出てくる小説やSF映画が参照されている。

これは以前から言っているように「人工知能を悪役にしておけば、とりあえずイデオロギーや人種問題で叩かれることがないので、悪役にしやすい」という側面があるから多いのであって、高度な人工知能が人類虐殺を考える根拠にはならない。小説の悪役はその時代の比喩で書かれることが多く、頭の固い人や知能が高い=エリートの人の比喩にしやすい面もある。

なので、とにかくニュースは「ホーキング博士の人工知能脅威発言」とSF映画をくっつけて報道するのは、ホーキング氏にも失礼であることを考えたほうがいい。

ホーキング氏が言わなくとも、人工知能はすでに適切な管理をしなければならない分野である。

本当に高度な人工知能が出てきたら、それは便利すぎて企業対立とか国家対立とかのいろいろな均衡を崩す可能性があるからである。

しかしそれは間違いなく大きな恩恵を連れてくる。

ただその手の大きな技術革新が、必ず負の側面を持ってきたように、人工知能も負の側面を持ってくる。

負の側面があるからといって、自動車や飛行機を止めるようなことは誰もしない。負の側面以上の恩恵があるからである。

ホーキング博士は「人工知能が人類を終わらせる可能性がある」と言っているらしいが、「人工知能が文明の担い手を人類から人工知能に追い落とす可能性が高い」というのがせいぜいだと思っている。

人類が文明の担い手でなくなるのは、人類虐殺の意味でもなく、人類貧困の意味でもない。そこに直接の不幸は意味されていない。

下手すれば人類の差別の歴史を緩和する可能性もある。

人工知能で不幸な時代が来るとすれば「人工知能を一部の人達が独占して、その人達が強権的武器として人工知能を使ったとき」である。

そして恩恵がある限り技術革新は止められない。だから適切な管理が必要なのは正しい。

「人工知能が文明の進歩を加速することで、人類の文明活動を終わらせる可能性がある」のはむしろ新しい時代の幸福を作り出す可能性がある。

2014/06/18

言ってることはそう難しいことではない。

人間の情報処理は、時間と繰り返しを基本単位にしているという点と

近代科学は、時間表現を静的に記述しているので、人間の情報処理をきちんと表現する仕組みが整理できていない。

という話だけだ。

人間の情報処理の実装だけなら、理屈の上では工学的に可能。ただ科学的表現に落とし込めないので、文章という形で伝達するのが難しく、むしろ実装機械を提示したほうが早い可能性がある。(ただ科学的表現がしにくいものを、プログラム的実装にするにはかなりの困難があるというだけの話)

ただ、部分実装例がないわけではなくて、時間依存で状態が変化する系のプログラミング(タイムテーブルを管理するプログラム)とかはわりとゲームプログラミングに類型があるような気がする。

 

2014/06/13

おそらく多くの基礎技術で人工知能の発明が成立する土壌が整理されてきていると思う。

ただ私はそれが実現されるには、少なくとも時間間隔を情報単位とした情報処理系が必要だと考えている。でも科学的手法は「時間」の取り扱いが本当に難しい。

「誰がいつどこでやっても、同じ前提条件なら同じ結果になる」のが科学的手法(他者に伝達可能であることを保証する条項、本に固定的に記述できることを保証する条項)の前提だが、時間間隔を基に作った巨大な情報システムの場合、同じ前提条件というのを作るのが著しく難しいので、科学のまな板に乗せることが難しい。

しかし膨大な量のストレージシステムを持つようになってきた時代なので、この問題は近いうちに限定的にでも解決できるのではないかと思っている。

 

人工知能に関して一つだけ大事なこと

Twitterのほうが主体になっていて、まったくの久しぶりなのだが

人工知能に関して大事なことを一つだけ。

 

人が認識可能な情報は本来「時刻の間隔(時間)」のみである。

その応用として、時間の間隔の繰り返し(リズム)しか人には見えない。

人の扱うすべての情報は、すべて時刻の間隔とその繰り返しに分解できる。

だから、

世の中にある各種の人工知能論の中で、時間の扱いに関する言及のないものは

不完全で未完成なものである。

 

ノイズと意味

世界にノイズなど存在しない。

人に認識できなかったものが結果としてノイズと呼ばれる という観点がある。

すべての事象に原因がある という観点なのだが、ヒトがそれを処理できる必要はない。

すべての原因を探索するという行為をヒトがやったら、完全に能力をオーバーフローする。おそらく精神が保てない。

省略する能力、忘却する能力が知的能力として重要なのは言うまでもない。すべてを探索するというのはむしろ機械の仕事である。

一方で、ヒトが大発見と呼ぶものは、そのノイズに見える事象の中に含まれることも多い。

だから、ヒトと機械の中間の性質を持つ知的機械は、すべてのブレイクスルーとして期待されているのだ。

それがいつ作られるのか。個人的な感触で言えば、もうそれほど遠い未来ではない。

知的機械をSFやアニメでしか語れない時代は終わりに近いはずだと感じている。

(自己のTwitterから再録追記)

時間ベース知識との類推

Twitterで検索をした結果とヒトの記憶の「想記」には似たところがあると思う。言葉に対する時系列の断片が拾われるところである。

ただこれが言葉の記述でしかないため人間言語の制限を超えられない。ニューロ的な相互結合にされていないのですごくよいわけではないが、人工無脳の知識ベースくらいには使えるのではないかと思う。

(自己のTwitterからの修正再録)

V9の再整理をしたいのだが

プログラムは理屈で動く。ニューロは理屈で動くのではなく、時間構造で動く。その時間構造のことを、私は通称 時立体と呼称している。

これが私のニューロの基本理念なのだが、とにかく最近時間が取れてない。

理屈で記述することができないので、本当にきちんと下地を整えなければ構造が霧散してしまうのだ。

だからこそ、今まで多くの人が記述しきれなかったのだろうと思う。

正月とか長い休み明けで、気分がクリアになった都度に思う。自分の歳を考えれば、こんなことしている場合ではない気はしているのだが。

墓に入るまでに何か結果が残せるものなのか。それが出来なければ私は人生を棒に振ったということになるというのに。

設計の統合

V6設計がつぎはぎだらけでも目標動作を実現できていたのに対して、V8設計が少しきれいになったけど整合性が大きく崩れて完全な動作に行き着かなかった。

V9は両方の設計を相互に読みながら再解釈している。再検討の結果、V6形式に戻すことのほうが多い。

前例のない設計は、勘で作った部分のほうが実は本質を突いているものだとふと思った。

設計の再整理

時間、時刻にまつわるプログラム設計は一元的に整理するのが難しい。

元々、科学は刻々変化する事象の中から時間的に不変な法則性を取り出すという「時間を持つ事象から時間要素を抜き取る」という研究分野である。

時間要素を除去しないと他者に伝達や書物に残すことが出来ない。

実のところ時間を直接取り扱う手法は昔からそれほど発展していない。

近代プログラミングの手法も科学と同じように時間要素を除去することで、わかりやすくしていった技法なので、時間要素を交えた設計がやりやすいわけではないのだ。(それでも昔のほうがよかったわけではない。昔の手法はすべてが記述できるがすべてがカオスになる。)

つまり注意深く全体の再設計をしている。

いったい何度目なのだろう。

繰り返しを集約する

繰り返しを集約する。

何度も言い続けて考え続けていることだが、人は繰り返しが発生するものしか認識できない。

この世で初めて というものを元々検出することが原理的にできない。

よくある「世界初めて」というものは、その事象が世界で初めて ということではなく、2つのよく見かける事象を「繋げたことが世界で初めて」という意味である。

関連しそうだというのが脳で認識していながら、その2つを繋げて見せた実例がないものを人が見ると、Aha効果的に強烈な印象が作られる。

それが「一般に言う世界で初めて」が流行に繋がる理由である。

「真に世界で初めて」「生まれて初めて」という事象は、人には存在を認識することができない。

時間軸に対して繰り返しを集約する機能が人の本質の一つであり、それを効率的に実装する方法がまだ固まらない。