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不条理は日常であってよい
yahooj-port
言葉の欠片
2009-12-11

不条理なことは世界に普通に存在する。空気や水なみに普通の存在である。 それが不条理か不条理でないかは、きわめて個人的で主観的なことが多い。 不条理だから、やらない、拒否する、訴える、闘争する というのは、別にあなたのことなのだからしてもかまわないのだが、正義を振りかざすのは正しくない。 不条理は直接には悪という性質はない。不運に近いものである。 偶然木の上から、堅い木の実が落ちてきて頭に当たったとしても、機嫌が良くないときは不条理と感じるものだ。 この木を切り倒すべきか。 切り倒したら、もう木の実は食べられない。 うかつに木には近寄らないという経験だけで、この問題はうまく回るようになる。 だから不条理とうまく付き合うことも学ぶべきことである。 P.S. 物理的な不条理を改善する方法を見つけることは、しばしば発明に繋がる。 人的な不条理を改善する方法は本当に難しい。 戦わなければならない不条理もあるかもしれない。しかしすべての細かい不条理に戦いを挑むのは、無駄でありわがまますぎである。