日常の繰り返し

日常を繰り返す圧力に耐える力は必要だ。それはなにをおいても、生きていくために必要なもっとも基本的な力。
子供の頃や学生時代は、とりあえず学校などで勉強したり、日々なんらか新鮮なことを目にするのだから、多くのことは常に進歩しているのが当たり前と思うかもしれない。
社会と生活の側では、ほぼ9割方のことは進歩も変化もしない。でも、変化をしなくても継続しなければならないことなのだ。
100%同じことでもあまりよくない。100%同じなら、かえって変化しないプレッシャーに負けてしまう。
10%の部分、できれば自分にとって絶対負けられない志に関してだけは、毎日何か新しいことをやるように心がけるべきだ。
でもここでは、10%の変化と前進を心がける というのはすでに多くの格言が言っているのであえて言わない。
90%の同じ事の繰り返しをきちんと効率よくこなせることが、10%の前進よりも生きていくために重要であり、それをこなせるようになってから、ようやく10%の変化を心がけるべきだ ということだ。
90%の部分が繰り返しなのだと言うことを意識すれば、それを少し楽しくやるような工夫をするだけで、生きることはずいぶん楽になるはず。

考えても仕方がないことがあることを思いだそう

どういう生き方をしていても、心底が凍り付くような状況や失敗というものは起きるものだ。
そういう状況は本当に怖い。
あの、頭が真っ白になり、心臓に氷でも入れられたような瞬間。
思い出したくもないくらいに怖いものだ。
そして、行き詰まったときは視野が狭くなるものである。
そういうときは
考えても仕方がないことがあることを思いだそう。
それはあきらめとか敗走とかいうことではなく、自分の視点を揺らさないために、頭を切り換えることが必要なのである。
P.S.
じゃりんこチエでは、「そういうときはおなかいっぱい食べてから寝る」とか書いてあった気がするな。

なんか忙しいような忙しくないような

やらねばならぬことがありそうで、なさそうでって妙な状況ではあります(^^;
まぁ納期に追われているというわけではないので、おそらく忙しくはないのでしょう。まぁその代わり今年は懐が厳しいですが(^^;
コンロの掃除とかしないとさすがにまずいかなーと思いつつも手つかずです(^^; そうやって探すと結構せねばならぬことが多数あるのですが、むー。
こゆときは忙しいにもかかわらず何かいらないことをしだす癖はあったりします(^^;
何をやっているかはまた別の話で(^^;

カップチャンポン


思い立って久しぶりの写真です(^^;
なんの意味もない、マルタイの長崎チャンポンのカップラーメン。
懐かしくて久しぶりに買いました。
ラーメンとチャンポンは九州味でないとダメな人なものですので、横浜にいた頃はこれは毎週食べてた気がする(^^;(あ、札幌ラーメンは普通にたまに食べます)
まぁあくまでカップラーメンなので、コショウの固まりっぽいわけですごくうまいというより気分を懐かしんでたという方向性も強いのですが(^^;

年賀状はなんとか書いた

年賀状はなんとか書いた。例年にもましてかなり手を抜いた気が(^^;
あとは出すだけかなー。
まぁこゆときに、昔の年賀状を見直すわけですが、懐かしい人やもう連絡が取れなくなった人、そして亡くなられている方の年賀状もすでに何枚かあるわけです。
しばらくすると、どんどんそういう方の方が増えていくのだろうなとも予測しつつも、いつ自分がそっちの側に行くのかもしれぬ とは思うわけで。
改めて今生きてるって側の方が奇跡であると思うようになるわけです(^^;
今、何してるのかなーとか思う人も多分にいます。
私も相当に奇人なほうではあるが、輪をかけて変な人ってのもいて、そういう人が今何をしてるのだろうか というのも興味はあるのだが、連絡先ももうわからぬのでそれは仕方ない(^^;
ついでだからWebの年賀状も誰にも見えないところに作り込むか(^^

まったくもって年越しの準備が出来ておらず

うーむ、年賀状もまだだし、大掃除もさすがにしておきたいし、パックの鏡餅もまだ買い込んでないし、なんとなくカオスしたままになりそうな気が(^^;
明日、気合い入れてやらねば、というかやる気が出るのか?(^^;

スパコンの落としどころ

少し前の記事ですが
「スパコン、「世界一」の目標断念し予算折衝へ 文科省」アサヒコム
この記事を読んで、いいのではないかと思ったと同時に、これは逆に言うと当初は2012年時点で単にベンチマークソフトで世界一とかいう計画だったのではないかとかちょち邪推したりします(^^;
ベンチマークで世界一もありはありなのですが、それで得するのはスパコン作った人達だけで、使う人達には関係ない話ですからな。研究者とかそういった人達が声を上げたのですから、利用環境的によいものになるのなら、方針転換はいい話ではないかと(^^
それはさておき、鳩山氏は、TVでしゃべるときはモゴモゴ言わずに多少間違えてもはきはきしゃべったほうがよいように思うのですけどねー(^^;
まぁ人のことは言えぬのですが(^^;

さてそろそろ年賀状を考えねば

毎度、年賀状を作らねばならぬ季節なのですが、今年はまだデザインを決めてないなー(^^;
最近、毎度作り込みが遅くなりがちなのです。
わりと凝ってるけど、意味不明ってデザインを毎年考えているのですが、どういうネタで今年はいくかなー。それとも無難な出来合いデザインにでもするのが楽か?(^^;

シュタインズゲート

気になっていたシュタインズゲートですが、評判とかやったFFフレの話を聞いてみて買うことにしました(^^
まぁ2CHノリみたいなセンスに拒否感がない必要はあるとのことです。個人的には2CHノリは好きではないのですが、体験版でやった感触で言えば、今風の中2病みたいな視点で始まる話がどう帰着するのかは気になるので(^^
それ以前にやる時間があるのか、ってとこが一番問題ではあるのですが(^^;

不条理は日常であってよい

不条理なことは世界に普通に存在する。空気や水なみに普通の存在である。
それが不条理か不条理でないかは、きわめて個人的で主観的なことが多い。
不条理だから、やらない、拒否する、訴える、闘争する というのは、別にあなたのことなのだからしてもかまわないのだが、正義を振りかざすのは正しくない。
不条理は直接には悪という性質はない。不運に近いものである。
偶然木の上から、堅い木の実が落ちてきて頭に当たったとしても、機嫌が良くないときは不条理と感じるものだ。
この木を切り倒すべきか。
切り倒したら、もう木の実は食べられない。
うかつに木には近寄らないという経験だけで、この問題はうまく回るようになる。
だから不条理とうまく付き合うことも学ぶべきことである。
P.S.
物理的な不条理を改善する方法を見つけることは、しばしば発明に繋がる。
人的な不条理を改善する方法は本当に難しい。
戦わなければならない不条理もあるかもしれない。しかしすべての細かい不条理に戦いを挑むのは、無駄でありわがまますぎである。