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ある物にひも付けされた人たち
yahooj-port
言葉の欠片
2009-09-18

人の仕事にはいろいろなものがある。 どこに行ってもありがたがれる特殊な免許や資格を持った人達は、どこに行ってもツブシがきくという意味でうまい生き方を選んだ人々である。 一流の学歴とかいうのもその一種かもしれない(残念ながら学歴というのは実際には使えない場合が多いが) だがそういう汎用的なうまい立場を得る人は全体を見ればそれほどは多くない。 むしろある状況や物に直接関連づけられた仕事をしなければならない人の方が多いし、またその仕事のほうが貴重な場合がある。 昔つとめていたある会社の、ある技術者達は、ある会社(一流企業である)の山ほどある製品群の中のある一つの製品の専門技術者として働くことになる。 その製品のことなら、配線の一本、プログラムの1ステップまで習得している。 その人達はその会社に若くして雇われて、その製品の開発に下働きとして入り、その製品の発表や発売を見て、その製品の納入を立ち会って、その製品の保守・故障を行ったり支援したりして、定年まで働き続ける予定である。 その製品が世の中にある間、その製品に関わるすべての問題の責任を負わされるわけである。 もちろんその製品のことなら、隅々まで知っているので、それは一つの特殊な技能である。 だが世の中にはその製品が山ほどあるわけではないし、表舞台で目立つ製品でもない。その知識ではどこに行ってもツブシがきくとはいかない。 私はそのことを実感として理解し、ここに来たのは誤りだった、と感じて、そこを抜け出した。 これは立派な一つの仕事である。社会的に見れば報酬も悪くないし安定してる。 昭和風に言えば、男の仕事である。 しかし、私はその生き方をしたくはなかった。 あの人達は今もそこにいるのだろうか。 P.S. おそらくこういう時代だから、あのような生き方を続けているとしても1種類だけでなく複数種類掛け持ちになっているだろう。 それに、一つの仕事の形を学んでいる人間は、場所が変わってもビジネススキルは役立っていくものだ。