プロフィールを更新してみる

なんだかYahooのプロファイルシステムが変更されたみたいなので
私のほうもプロファイルを再検討してみました(^^
いや、プロファイル検索してみるといろいろな人がいるのだなーと(^^
SNSって使ったことないですが、こんな感じでつながる仕組みなんですかねー?
草の根BBSやNIFTYのCBチャットとかのパソコン通信時代が根っこなもので。
チャットなんかは、もっぱらゲストチャネル(NIFTY CBでいうとBandB CH2)でその場にいる人と野良っぽく雑談と地口ネタで小一時間くらいしゃべるってスタイルでしたね(^^
プロファイル検索の好みのものを考えていたら、えらくいっぱいでてきたので、若干絞ったところでこんなところでしょうか(^^

鬼神とはほめ言葉ではない

鬼神のごとき人という言葉がある。
鬼神は改革をする力にはなりうる。
ただ回りも含めて全てを破壊し尽くす可能性がある者。
鬼神が必要なシチュエーションや時代もあるだろうが、それでも鬼神はほめ言葉ではない。

人間的に生きることを選んだ人と非人間的に生きることを選んだ人

人間的に生きることを選んだ人と非人間的に生きることを選んだ人
非人間的な生きかたを選んだ人は大きな事をなせるかもしれないが大悪をなすかもしれない。
人間的な生きかたを選んだ人は大悪は起こせないが幸福になれるかもしれない。
でも
非人間的な生き方を選んだとしても大きな事をなせる人はほとんどいないし。
人間的な生き方を選んだとしても物語のように幸福になれる人はほとんどいないだろう。
その日の気分で適度に混在して生きていくのがよいのだと思う。

暑い季節になってまいりました

気温が少々上がってきてそろそろ初夏か梅雨前の雰囲気がでてきました。
布団もほぼタオルケットっぽいところまで減らしましたし。
前々から予想していたのだが、やはりソファは夏だと少し暑苦しい感がでてきるかなーと。
まぁこういう感じで逆にからっと晴れてると、風が気持ちいい季節でもあるんですけどね(^^
エアコンの購入もきちんと検討せねばならぬ。今週末くらい買う人多いかもですねー(^^

顔面麻痺もあまり改善せず

数年前に患った顔面麻痺も思ったほどには芳しくなく。
やっぱり最初に病院にかかるタイミングが少し遅かったのと、行った病院がヤブだったのだと思う。
ネットで検索してもあまりいい噂がないし、なにより担当医の対応がやはり変だったと思うんだなー。こういえばああいうって医師はいかがなものかと。。。
引越して、引っ越し先に紹介してもらった病院も対応がいまいちで。
というかこの手の病気は初期治療で決まるものらしく、今更ではあまり打てる手がないらしい。
少しは動きが改善されたのはあるのですが、なにより目が疲れるのが仕事にも影響が出てるわけで。
今度、外科整形も含めた症状改善の専門医を紹介してもらうことにはしたのですが大丈夫かなー。。。

壊すことは飽きるものだ

壊すことは何度もやっているうちに飽きるものだ。
物にもよるが、完璧に壊すことは簡単なことだからやってるうちに飽きる。
でも生み出すことはなかなか飽きさせてくれない。
100%壊すことは簡単にできるが、100%のものを生み出すことはまずできないから何度もやってしまう。また生み出すものの姿や方針も常に変わっていくもの。
壊すことは早く飽きてしまうことをお勧めしたい。

FFXI たまに使うエモ

カンパなど、あまりシビアでないシーンで逝っちゃったフレなどに。
/kneel motion
/em は<t>に土をかけて丁寧に弔った。
その後、手動レイズw
あくまでダジャレが〔貫通〕する人のみ限定ですーw

すばらしい幸運やすさまじい不運は選択肢に入れるべきか

一般にすばらしい幸運やすさまじい不運の発生する可能性を、行動上の可能性の選択肢に入れるべきではない。
宝くじ1等に当たる可能性、TVでスターデビューする可能性、大統領になる可能性、大富豪になる可能性・・・
無実の罪で死刑になる可能性、飛行機が墜落して死亡する可能性・・・(上も下を言い出すときりがない気も・・)
上記の幸運も不運も起きている人は世界にたくさんいる。
だが通常の行動選択時の可能性にこれらを考慮することは大半の場合、意味をなさない。
それらの可能性と発生時の対応施策を検討するのは時間の無駄である。
ただ2点、例外があり。
1.極限時の考慮をしなければならない立場の人や考慮をしなければならないタイミングは存在する
政府が地震や戦争の発生時の問題を検討しておかなければならないのは当然だし、家長は事故時の家族の保険を検討しておくべきことは当然だ
2.それらを考えてしまうかどうかは、やはりその人の思考タイプによるのだと思う。
大富豪になった後のことを考えるのが好きな人もいれば、不慮の事故死のときのことを考えてしまう人もいるのだ。無駄だとわかっていても考えてしまう人は考えてしまうし、それは個性とも言える。ただ時間の無駄になることが多いので控えめにすることをお勧めする。

Vistaに覚悟があったのだろうか

多くの人にとって、Vistaは何かぱっとしないOSであると思われているし、私も率直そう思っている。
Vistaくらいの規模のOSだと一つの考え方に統一されるということはないはずだが、私のVistaに関する印象は「おそらくJavaや.NETなどの近年のデザイン手法をOSに取り入れて、開発工数の削減とメンテナンス工数を削減する(ひいてはバグを減らす)」みたいな考え方があったのではないかと思う。
もう少しくだけていうと
「xp以前のOSは問題が起きたら土日夜昼ない状態になったので、今度のOSは週末くらいは休めるくらい無難なOSにしておこう。ビジネスなので工数削減は当然考えるよね」みたいな臭いを感じる(実際には休みなどなかっただろうが)
細かい挙動の違和感や、きちんと詳細を詰め切れていないバランスがそういう感じを特に与える。
このOSに人柱はついていたのだろうか? という変な疑問が思い浮かぶ。
人柱という言い方は本来よくないのだろうが、現実的には複雑な生成品は人柱なしに出来上がるとは私には思えない。
昔かかわったいろいろな製品(ハード、ソフトにかかわらず)には程度の差があれそういう人がいたと思うし、メインフレーム関係のハードとかは「おそらくこの人はこの製品の製品寿命と一緒に生活して、製品の消滅とともに第一線を退くのだろうな」と思われるような人もいた。
Vistaにその臭いがしないのだ。
(他の人は知らないが)私はMSにPCのデファクトOSをやらせてもかわまないという感触を持っていたのは、ある程度その必死感があったからであり、もうデファクトを取ったから少しくらい手を抜いたり、ビジネス的工数削減を考えてもいいじゃない という考えに到ったのなら、MSにデファクトOSをやってもらう必要はない。