Macエバンジェリストは勘弁願いたい

私はかつてよく人に「Macファンですね」とか「Macエバンジェリストですね」とか周囲に言われたのだが、そのたびに説明しなければならなかった。

「私はモトローラのBigEndianのMPUが好きなのであって、Macが好きなわけではない。68系CPUで残存しているコンシューマパソコンがMacしかないのでこれを選ばざるおえなかったのだ」と。

かつての(そしておそらく今も)Macエバンジェリストのコミュニティには、何か妄信的で排他的な感じがあってどうしてもなじめない面があった。そして多くの場合、高学歴者が多いので言いくるめてやろうという状況もみられた。

まぁファンクラブというのは多少そういう面があるのだろうが。

なぜふとそういうことを書き始めたかというと、ITmediaで林信行氏の記事を見かけて、昔のMacエバンジェリズムを思い出さされてしまったからだ。典型的なMacエバンジェリストであり、エバンジェリズムの記事。

なぜこの人達は最初に過去のことを延々話し出すのだろうか。PCというものは人の活動(これが本来メイン)をサポートする道具であり、道具の過去を話す事に何の意味があるのだろうか。

思い出話をする会というのならいいのだろうが、ニュースサイトというのは現在を語るもののはず。今の人に道具の過去の栄光や挫折を記事にするというのはどういう意味があるのだろうか。

Macエバンジェリストは常に過去を語る。未来を聞くと「Appleとジョブズに従えばいい」とでもいうところだろうか。

我が神、我らが預言者に従いなさい という面は非常に宗教的である。

未来と選択を他者にゆだねることを怖いと思わないのだろうか?

9月

9月

つまり、

形のあるものは皆壊れる というか

不幸は忘れた頃にやってくる というか

泣きっ面に蜂 というか

うかつにもHDDをクラッシュさせてしまったのだな(汗)

幸いにも重要なデータ領域ではなく、OS側パーティションだったので大きな損失はなかったのだが、夏休みにもかかっていたものだから修復する気を起こすまでに時間がかかりまして(笑)

クラッシュが原因というわけではないのだが、今年の夏はなにもせず、なにも考えない現実逃避な夏休みであった。

常に均一のテンションを保つのは、人にとってとても難しいことだということを、改めて実感する。

好きということと、本質的に快楽であることとは、異なるということ。

繰り返しは(それがなにであれ)快楽と苦痛の両面性をもつこと。

仕組みはわかっているつもりだが、わかっているからこそ「わかっているだけでは問題は解決しない」こともわかっている。人間にハードコーディングされた認知のアルゴリズムは、ちょっとやそっとの仮想化で自由に操れるほど簡単ではない。

盲信は一つの手であるが一人で実体化することは容易ではない。

クラッシュしたHDDの、もっとも最近の全体バックアップが97/6だった。受信メールの一部が失われたのはちと痛かったが、復旧そのものはバックアップがあるので、一度やりかかればサクサク進む。

人の場合そう簡単にもいかないが、たとえそうであってもリストアは可能だと信じたい。

(1997/9初出)

TVが不調

使っているTVの真ん中付近に帯で表示が崩れる部分がでてきましてちと困っています(^^;
いや少し前からたまにおかしくなってきてたので、そろそろ買い換えなのかなーとか思ってたところなんですけどね。
TVの特性なのか、普通のバラエティ番組とかのTV番組ではあまり目立たないのですが、ゲームとかのコントラストの強いものの場合、帯の部分の文字が読めないんですよー(^^;
まだきれいに出たり出なかったりなので、でないタイミングのときはゲームは控えるというスタイルにしてますが、年末までには買い換えたいなー(^^;

8月

ずいぶん遅れた

8月

夏休みでした

・・・ってのではだめ?(笑)

他にも理由がいくつかありますが、その一つは9月の方で(汗)

(1997/8初出)

トラスティベル総括2

総括を書いた後で思ったのだが、
こなせていないサブエピソードの多さも考えると、
元々の予定ストーリーはこれの2倍くらいで、コストや開発期間のために中身が半分になったのではないかと思ったり。だとするともったいない話ではある(いやユーザとしては中途半端な作品だったのでよろしくないんですが)
もしそうだったとしたら、すでに開発環境等がこなれているPS2かGCで作って、その代わりフルストーリーにできていたのなら、良作になったのではないかと思います。すくなくともゲームシステムだけでみるとPS2で十分できそうな内容だし。
まぁ企業戦略とか、次世代向け開発環境を整えるとかいろいろ理由はあるんでしょうけどねー。
話変わって、グラフィック。
NHKの人形劇シリーズみたいと自分で言ったが、言い得て妙と思ったり(^^
人形劇でもきちんと劇になっていれば楽しめるのです。
逆に人形劇と同じくらいのグラフックができるような時代になったのだとは言える。
たーだー。
このグラフィックスを出すコストをかけるくらいなら、エンターテイメントとして話をきちんと仕上げておくべきです。人形劇はリアルな人形だろうと紙芝居だろう指人形だろうと同じように楽しめるのだから。
演出家があのエンディングでいいと思っていたのなら、論外ですが。

トラスティベル総括

とりあえずエンディングまで行きました。トラスティベル。
うーん、まずあの終盤の急展開からエンディングはいただけない。。。
ゲームシステムは、大味なところもあるけどいいんではないかな。コンボとかも派手だし。
ただ防御や反撃がボタン押しタイミングゲームにしかなっていないとこがちょい改良要かなー。
アイテムもほとんど使わなくてすむくらい優しいバトルになっているのは、ストーリー重視なのかなーとか思いつつも、あのエンディングは。。。
ゲームシステムはいいとして、あのエンディングはちょっとねー(^^;
ああいう展開にしたいなら、話の中盤で急展開をやって後半を全然別の世界展開にするべきですね。
最終盤直前までは、わりといいファンタジー系RPGと思っていたのですが、残念ながらあの終盤ストーリーの話としての欠陥のせいで作品としてNGと言わざる終えないですねー。
PS3版が出るらしいですが、あのエンディングは直さないとまずいんじゃないかなー。というか、もう終盤ストーリーは直すという方法では直らない気がする。直すより完全に終盤を切ったほうがいいんじゃないかなー。。。

7月

7月

私の信じる神は、ソフトウエアの神である。

エリートエンジニアや業界有名人のことではない。

なにか感覚として、髭をたくわえた白髪の老人・隠者・仙人。そういうイメージの神様である。

概念としては八百万の神にもっとも近いと思う。唯一神とか絶対神など信じない。万物に神がやどるという考え方。自分が選んだ神が自分の神という考え方である。

山菜を採る人が山の神を敬うように、海産物を捕る人が海の神を敬うように、畑を耕す人が稔りの神を敬うように・・・プログラマがソフトウエアの神を敬うのが、どこか妙だろうか?

宗教に詳しいわけではないが、かなり原始的な神様の概念だと思う。だがもっともしっくりくるのである。

ハイテクとはかけはなれた感じがするかもしれない。ソフトウエアが出来るためには構想・デザイン・設計・地道なコーディング(さらに仕事としてやる場合は協力・説得・利益計算・リスク対策などさらにややこしくなるが)など簡単に作れるものではない。しかしなによりも携わる人々の思い。そこにはまだ何か奇跡の断片があるように感じる。だから神の匂いが感じられるのかもしれない。

徹夜明けの朝日の中で、まだデバッガにつながったままのソフトがよちよち歩きの赤ん坊のように画面の上で不器用に、でも確かな鼓動を持って動き出すとき

ソフトウエアの神様がソフトウエアにたずさわるすべての人々を見守ってくれるのだ

と感謝せずにはおれない。

(1997/7頃初出)

想定していた未来

自分の身の回りということではなくて、世間全般として今回りを見回したとき
幼い頃に想定していた未来に今の姿は近いですか?
おそらく良い意味でも悪い意味でもまったく今の状態は想定していなかったのではないかと思います。
何かが間違っていたのか? いえいえ、まったく。
あなた(私も)が幼かったので予想精度が低かったのは仕方ないこと。
ただ、幼いころに思い描いていた未来を、ほんの少し今に作ることを試みるのにはいいタイミングかもしれません。
やり方はいろいろ。
実際に本気でやってみるという方法もあるし、疑似環境上で作ってみるという手もあります。
今は疑似環境を作る手段もずいぶん増えました。
詩や絵とかの創作から、手芸、フィギュア、プログラム、スケールモデル、シミュレーター、メタヴァース・・・
お好きな方法をどうぞ。
P.S.
余談ですが、私はメタヴァースにはわりと批判的です。ただ、個人的な箱庭を作るのにメタヴァースを使うのはかまわないのではないでしょうか。

6月

6月

Deep Blueの勝利を、私はほとんど諸手を挙げてよろこんだ。

報道機関の多くは「コンピュータが人間を負かした」との論調だった。一部ではヒューマニズムの危機とでもいいたげな書き方だったような気がする。しかしあれは決して「コンピュータ対人間」の勝負ではない。チェス技能者対コンピュータ技能者の「人間 対 人間」の勝負だった。

また、「コンピュータはプレッシャーを感じないが、人間はプレッシャーを持つ。だから不公平な戦いだった」とのニュアンスの報道もあったように思う。しかしその言い方で言えばDeep Blueサイドもハンディを課せられていた。Deep Blue側スタッフはプログラムがその場で誤った手を打ったとしても「まった!」を言うことはできない。プログラムの動作は、対戦以前の数年に渡った設計の中に組み込まなければならない。Kasparov氏が斬新な手を打ってDeep Blueを窮地に追い込んだとしても、スタッフは場外から見守ることしか許されない。それは十分にハンディではないか?(やや逆説的に言えば、Deep Blueスタッフ自身もDeep Blueが誤った手を打ったとしてもわからなかっただろうが・・・)

これを見ていると「熟練職人が旋盤でネジを作る 対 自動工作機械がネジを作る」の勝負を連想してしまう。おそらくこの勝負は精度的にも品質的にもコスト的にも時間的にも自動工作機械の方が勝つだろう。だからこそ工場はオートメーション化されているのだ。

私は昔から思っていた。なぜ熟練職人は機械に職を奪われるのに、創造的と呼ばれる職種の人は機械に職を奪われないのかと。それこそ不公平ではないか?小説家が文筆ソフトウエアと、芸術家が絵画ソフトウエアと、弁護士が弁護ソフトウエアと仕事の取り合いをするという時代が来てもいいのではないか?

プログラマが自律プログラミングソフトウエアに仕事を取られて困らないかって?

それこそ本望

私は喜んで引退して隠居しよう。私の望みの一つである。

(1997/6初出)

Wii Fit

そろそろアマゾンとかでも予約案内がでているようなWii Fitですが、
私はとりあえず買う必要がない。ってのはすでにUSB接続型のヘルスメーターを1年くらい愛用してまして(^^
コンピュータで自動的に体重変移の統計とるのはメタボを気にしている人にはわりといいですよ(^^
まぁゲームとして成立しているとはさすがに思わないので、ゲームではなく健康セットとして検討されるのがよろしいかと。